田沼 敦子様(料理研究家)

田沼 敦子様(歯学博士・料理研究家) 執筆者のプロフィール
田沼敦子さま
1953年新潟県生まれ。歯学博士・料理研究家。千葉市『高浜デンタルクリニック』院長。
本業のかたわら、身近な食材を使って自然に噛む回数が増える料理『かむかむクッキング』を提唱。テレビ、雑誌、講演など多方面で活躍。夫は写真家で文化功労者の田沼武能氏。二男の母。著書に『噛むかむクッキング』、『取り寄せても食べたいもの』、他著書多数。


「忘れられない母の味」




「カッ、カッ、ガッッ・・・」手が思うように動かず、なぜか前に進みません。
気になって抽斗を開けたら、あるのはネズミの歯のようなものだけです。

「ちがうよ、こうやんの」と言って、私の手から鰹節を取り上げるや、母が削り出すと「シュー、シュルッツ」ときれいな巻き毛のようなものがひらひら舞いあがり、まるで踊っているよう、見る見るうちにふんわり貯まりはじめました。
おなじ鰹節なのに、どうしてこんなに違うのか・・と、小学校低学年だった私はちびた鰹節を口に含みながら、上手にできないもどかしさに早く大人になりたいと心底思っていました。
「お熱いですから、お気をつけてどうぞ・・」と、ひと声かけながらお客様に自慢の茶わん蒸しを勧める母。心なしか、母の顔も上気しているようです。
でも、舞台裏の台所はたいへん。昆布にかつおの一番出汁と卵液。私が牛乳瓶の底で銀杏を割れば、力にまかせ身まで割れ、裂いた「ささみ」はよじれ、尾が取れた海老は頼りなさそうで見るも無残。飾り三つ葉に吸い口のへぎ柚子。手伝いのはずが失敗ばかりで「茶わん蒸し」って作るのたいへんだ~と、トラウマに。

「おかあさん、もうすぐ白だしなくなるよ」の声は、冷蔵庫に顔を突っ込んでいた私の息子から。今やほんとうに簡単。卵を溶いて白だしで薄めたものを器に入れ、鍋に2センチくらいの水を入れ強火にし、ゴトゴト言いだしたら弱火に・・。これだけで美しく美味しい卵豆腐ができあがり、おかずがあまりなくても堂々と出せるひと品です。便利で重宝な「白だし」、これこそまさに私が手放せない「息子へ伝える母の味」です。