湯村 幸子様(栄養士)

湯村 幸子様執筆者のプロフィール
湯村 幸子さま
栄養士の資格を取得し、高等学校家庭科講師を務められた後、料理講師として20数年、生活の質の向上を期待する人に向けた健康的な家庭料理を紹介する活動をしている。2003年に、料理本「スローフードでへるしーくっきんぐ」を出版。白だしや、多重構造鍋を使ったヘルシーで、栄養のバランスの摂れた料理レシピを紹介している。


「忘れられない母の味」




「ハミルトン」と「金時豆の煮もの」

母が結婚したのは昭和8年だったらしい。その頃母は国立病院の看護婦さん、軍人の父と結婚した時に、外国製の「ハミルトン」という 総合調理器具を持ってきたそうだ。当時最先端の嫁入り道具だったらしい。 それが母の自慢だった。昭和14年に4歳の私と母は父の赴任していた旧満州に住む事になった。勿論その「ハミルトン」も一緒だった。 その調理器具は下に炭火を置くと上に何段にも重ねられたホウロウ製の容器の中に入れられた何種類かの料理が一度に出来上がると云うもの。 赤飯も煮豆も煮しめも一度にできた。

忘れられないのは「金時豆の煮もの」だった。 ふっくらと甘い味でちょっと煮崩れた感じの金時豆の味が忘れられない。
第二次世界大戦が激しくなって、昭和18年(終戦の2年前)に日本に帰国、父の転勤で日本各地を転々とし、終戦を迎えたが、戦後の食糧難の時代にも、被災した親戚一同の食事を賄うのにも、その「ハミルトン」は活躍していた。

お砂糖が不足していた時代、あの金時豆を何度も食べたいと思った。 味はお砂糖と塩だけだったと思うのだが、適度のふっくら感が今の私には出せない。
あの大変な時代に食事を作っていた母達は苦労したと思う。

田舎だったので「ふきの煮もの」「なば(雑多な山のきのこ)の佃煮」「さんしょうの葉の佃煮」。少し豊かになってきた時代の母の味を懐かしく思う。「味とこころ」さんのおいしい醤油に出会う事なく亡くなってしまった。 私も頑張って母の味に近づかなければと思う。