母の味 おつゆ
北海道の方言では、「おつゆ」というと味噌汁のことを指すそうですが、
私は、味噌汁のこともすまし汁のこともどちらも「おつゆ」と言っています。実家の母がそう呼んでいたからなのですが、大きな「おつゆ」というジャンルの中に、味噌汁とすまし汁が入っていて、さらに、味噌汁は「おみおつけ」、すまし汁のことはなぜかまた、「おつゆ」と言っています。
きっと、私の実家だけの方言ですね。
私が育ったのは高度経済成長期で、外国から入ってきたいろいろな料理を家庭でも楽しみ始めるようになった頃です。
「グラタン」や「シチュー」、「ハンバーグ」など、新しく覚えた料理を母は楽しそうに家族に作ってくれていました。既製品のハンバーグとは違う分厚い母のハンバーグは、ザクザクで粗すぎるでは?という巨大な玉ねぎが入っていたりもしましたが、ケチャップ味のソースがたっぷりかかったハンバーグは、私にとって大好きなごちそうでした。
そんな母の献立にはハンバーグにも、グラタンにもいつも必ず温かい「おつゆ」がついていました。朝は「おみおつけ」、そして夜は「おつゆ」。
「おみおつけ」の具は、春なら玉ねぎやじゃがいもなどの季節の野菜。
そして、「おつゆ」の具としてよく登場したのが、お麩でした。
口に含むと、じゅっとお出しが飛び出してきて、なんとも言えないあたたかな優しい味。
そんな母がよく台所で呪文のように言っていたのは、「明日のおつゆの実はどうしようかな・・」の言葉。朝のおみおつけの具が決まると、ほっと安心した母が、テレビを見て笑いながらえんどうの筋を取っていたことを思い出すと、時間が美味しさをつくるのだな、と今の自分を反省したりします。