私の大好物の白滝が入っていて(笑)食感の歯ごたえのある茶碗蒸しです。(珍しいでしょ?)すごく、美味しくて…自分でも作りますが母のようには作れませんね。
北海道 ペンネーム ベティ様
誕生日のフルーツポンチ。子供の頃よく母が作ってくれました。季節の果物と白玉を食紅で染めてくれ、薄いピンクとパステルグリーン、そして白のお団子はいちごの赤やパインの黄色と相まってとても華やかでかつ美味しく、お友達に対しても誇らしかった事を懐かしく思い出します。
北海道 ペンネーム ポム・ド・ピーチ様
昔々、働き者の母の料理は全部好きでしたが、餅で作ったあられが大好きでした。自分には作る事は出来ませんでした。
北海道 吉田様
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犬塚貴統(味とこころ代表取締役社長)
犬塚貴統(たかのり)味とこころ代表取締役社長
1988年、父・犬塚敦統が七福醸造(株)の通販事業として味とこころを設立。白だし類の通販を主としていたが、全国の良い商品をお客様に代わって見つけ出し、お客様にご案内する「購買代行」を始める。1995年に入社し、インターネットによる通販を促進。2006年社長に就任し、現在に至る。料理上手で、得意料理はパスタ。
「忘れられない母の味」
私が幼なかった頃の母は、昼は工場に、夜は事務仕事で大忙し。
どんなに忙しい時も、子どもにも祖父母にも体に良い家庭料理。
「手作りの料理」に一番愛情を感じました。
祖母が丹精込めて育てた無農薬野菜。
鶏肉か豚肉を入れて、白だしで味付けした煮物。
祖父母と両親、7人の家族揃っての夕食は最幸でした。
母はよくパンを作ってくれました。
焼き上がる時のい~い香りはワクワクしたものです。
中でも、肉まんのように仕上げた惣菜パンが私の大好物でした。
「肉入りパンを沢山つくって!」とよくせがんだものです。
そうそう、母のおにぎりはなつかしいなぁ。
甘辛く醤油と白だし、砂糖で味付けした肉が入っているのです。
たまに期待はずれで、梅干しが入っているとガックリしたものでした。
今、私の家では、家族がそろって夕食をいただきます。
両親と私の家族5人、土・日曜日は妹の家族、弟の家族も一緒です。
これからもみんなで手作りの料理をいただき、母の味を引き継いでいくことが、とっても大事なことだなぁと実感しています。
今回、昔の記憶をたどってみました。
全部はとてもかけませんでしたが、まだまだ沢山あります。
手作りのプリンや、毎朝作ってくれた高校生の頃食べていたお弁当。
色々な時に食べていた忘れられない味だけでなく、
どんな時も手料理の食事を作っていてくれたことに改めて感動しました。
そして、今でも母の味をいつでも食べることが幸せ。
お母さん、本当にありがとう!
岡本千花(お客様担当部 マネージャー)
岡本千花(おかもと ちか)
味とこころお客様担当部 マネージャー。
お客様係取締役 葉山 三千余 を母に持ち、子どもの頃から白だしを使った料理で育つ。いつも笑顔の絶えない人柄。営業部長の夫とは、誰もが認めるおしどり夫婦。高校生の子供を育てながら、仕事、家事と全てをこなす。毎朝お弁当作りと朝食を20分以内で作るほど、白だしを使った時短料理が得意。
「忘れられない母の味」
母の手料理というと、いろんな料理が想い出されます。
炊き込みご飯、天ぷら、大根の煮物等々・・・。
毎日仕事で遅くなっても必ず、私達子供と一緒にいろいろな事を話しながら料理を作ってくれました。
私は母と「稲荷ずし」をつくるのが大好きでした。母や弟と寿司桶を前に包む速さを競ったり、だれがきれいに包めたか自慢しあったり。大きなお皿にいっぱい、いっぱい稲荷ずしを積んで、祖父、祖母、両親、兄弟で取り合いで食べました。
私にとっての母の味は家族で一緒に作って、大笑いしながら食べた料理の味です。そのお陰か、知らぬ間に料理が作れるようになっていました。
今は私の子供も高校生になり、朝、一緒にお弁当を作ったり、休日には主人と子供と義母と4人で台所でわいわいと料理を作っています。
「一緒に作って一緒に食べる。」母から教えてもらった最高の料理です。
お母さん、ありがとね。
平野 裕加里様(フリーアナウンサー)
平野 裕加里さま
1966年生まれ。愛知県知立市出身。
南山大学卒業。中部日本放送(CBC)アナウンサーを経てフリーとなり、現在、ラジオ番組「ザ・土曜天国」にレギュラー出演される他、イベント司会や講演など多方面で活躍中。小学生の愛娘の母。
「忘れられない母の味」
「最後の晩餐に何を食べる?」って話題になることありますよね。
私は迷わず「お母さんの卵焼き!」と答えていました。卵が大好きな私ですが、
実は結構わがままで(笑)小さい頃から、給食の茶わん蒸しは絶対に食べない。
お店で売っている卵焼きもいや。私が好きなのは、卵料理ではなくて、
「お母さんが作った卵料理」なんです。
お弁当には必ず卵焼きが入ります。ほんのり甘くて、だしのきいた卵焼き。前の日から楽しみで楽しみで。お弁当を作っているそばに寄って「ちょっとちょうだい」とそのはしっこをつまみ食い。何とも言えない幸せな瞬間です。もちろん時間がたって、冷めたってその味は変わりません。「おいしいなあ。おいしいなあ。」って味わいながら食べていました。お正月におせち料理にいれる卵焼きは何本も何本も巻いてもらって、おかわりをたくさん用意してもらっていました。
茶わん蒸しも大好きで、お誕生日には必ず作ってもらいます。なくなってしまうのが惜しいから少しずつ食べて、食事の最後に最後の一口を食べるんです。
お母さんが作ってくれる卵料理はだしがきいていてやわらかくてあったかくて・・。お母さんの愛情がたっぷり入っていてそれを感じることができるから好きなんですね。しっかりだしをとるのも大変だったろうなとは、自分が母親になって料理をするようになったからわかること。本当に感謝しています。
私の娘も卵焼きや茶わん蒸しが大好きです。でも私は・・というとだしをとるかわりに味とこころの「四季の彩」、卵料理には「今日もたまご焼き」を使って楽しています。子供への愛情はたっぷりですが、素材の安心、味も満足なので常備しているんです。母に味見をしてもらってもお墨付き、私も大好きなお母さんの作ってくれるあの味にとても近いんです。少しずつ時代の変化で変わってはいても、変わらぬ母の味。娘にもそんなふうに「大好き」といってもらえるといいな。
宮坂 康子様(フードコーディネーター)
宮坂 康子さま(フードコーディネーター)
有限会社ミヤサカ クッキング スタジオ 代表
名古屋文理大学健康生活学部フードビジネス学科(2005年4月開設)講師
ミヤサカクッキングスタジオを設立し、名古屋でフードコーディネーターの草分け的存在として活躍。名古屋文理大学では「フードコーディネート実習」などの授業を担当。
「忘れられない母の味」
私の母は大正5年生まれでした。すでに17回忌が過ぎました。
私が母の味で忘れられないのがまず「冬瓜汁」と「古漬けたくあんの煮物」
すこし唐辛子が効いていてご飯のおかずにとてもおいしかった。
また生の大根を分厚く切って油揚げと共に時間をかけてゆったりと大鍋で沢山、沢山煮ていました。味のしみたその味は何とも懐かしい。
私が普通の鍋で同じように煮てみてもひと味もふた味も異なる母ならではの味が思い出されます。
母の実家は小さいながらも味噌・溜まり製造・販売業をしていて
味噌・溜まり・白醤油はいつも母の実家から届いていました。
白醤油を使う地域はこの尾張・三河地方辺りで関西も関東地方もまた全国的にみても白醤油を使っているところはなかったとか。現在では「味とこころ」さんのおいしい白だしが全国的に広まって嬉しい思いです。
あと母の思い出の味は鯖や鰯の甘辛煮付けと山ほどのレンコンやサツマイモの天ぷら、お彼岸やおまつり時のすし飯がいっぱい詰まったいなり寿司。
暮れには昆布巻きを数えながら巻いて今年はきっちり88個などと言い、どうしてきっちりなのか訳が分からず、いつも私たち姉妹で笑いがおこりました。
お正月のお餅は小さい頃は父が土間で搗いていたのも思い出されますが、後はお米屋さんに注文をしそれが届くと少し固くなるまで1日おいてから、そののし餅を数えながら切るのです。そして必ず「よし!きっちり108個」とか訳の分からない「きっちり」と「よし!」というかけ声が入るのでした。
戦後の色々と無くした時代に辛い事も大変な事も、
母の持ち前の明るさで笑いの絶えない家でした。
無口な父と人寄りの良い明るい母の家庭で、
今思い起こせば幸せでありがたかった思い出でいっぱいです。
今は亡くなった母の年をとっくに超えてしまった主人が、
一番会いたくなるのは「まりこさん」と言ってくれます。
その事が今の私の一番の喜びです。
※「まりこさん」は私たちがつけた母のニックネームです。
天まりのように丸っこくて愛らしい母に一番ぴったりの呼び名でした。
押阪 忍 様、栗原 アヤ子 様ご夫妻
岡山県津山市出身。昭和34年、テレビ朝日の前身である日本教育テレビ(NETテレビ)開局とともにアナウンサーとして入局。
独立後、エス・オー・プロモーションを立ち上げ、現取締役会長。アナウンサー、司会者の養成でご活躍中。夫人とともに、ウォーキング、ガーデニングが趣味。
東京都出身。昭和34年タレントとしてデビューされ、現在はエス・オー・プロモーションの取締役副社長・芸能プロモーター、司会者・MC・キャスターとしてもご活躍中。
押坂忍さまとご結婚。
趣味は、ウォーキング、料理研究、ガーデニング。
「忘れられない母の味」
執筆 栗原 アヤ子さま
今、話題となっている ひらがな四文字の言葉は、
「はやぶさ」と「なでしこ」のようです。
あと数年この四文字は 日常会話の言の葉に載ることでしょうね。
でも 永遠に温かい語感で遣われるのは、
『おふくろ』ではないでしょうか。
中でも 男性にとっての『おふくろの味』は、忘れ得ぬ宝物のような存在かも知れません。
かつて私の持ち番組の一つ、フジテレビ系で毎日夕刻に放送していた「生活発見」という商品紹介の番組がありました。
メーカー各社の主力商品や新製品 中には会社の命運をかけた商品もあり、家電製品・衣類・化粧品・健康食品など 概ね女性ターゲット目線で、現在のショップチャンネルの先駆けとなったような番組でした。
昭和61年頃、愛知「七福」の白醤油「白だし」のご紹介をいたしました。
私は、東京生まれの東京育ちで、お醤油の色は茶褐色のものと思っていましたので、最初 白しょうゆという表現のお醤油は、とても珍しく感じました。「料亭白だし」ともラベルにありますし、どんな味かを番組でご紹介する前に一本頂戴し、「けんちん汁」を作ってみました。
「あら おいしい・・何かひと味違うみたい・・」と思いつつ
夫(フリーアナウンサーの押坂忍)に出したところ
「おっ うまいねエ・・うまい うまい!」とホメ言葉の連発で。
普段は上出来の味付けでも 殆ど連発はない人なのに・・・。
「う~ん 今夜はおふくろの味!」といって
亡きお母様の料理の味付けなどを ホロリと 話してくれました。
私の面差しが 少年の頃他界された母に似ているといって、
口説き文句にした夫にとっては
いくつになっても母の味は忘れ得ぬものなのでしょう。
味にうるさい夫でなくても
確かに「白だし」の味付けは「一級品の味」と思います。
「白だし」紹介の担当日、私は自信をもって その味の魅力を精一杯ご紹介しました。放送後、テレビ局側に大好評という知らせが入りました。
ご購入された奥様方が「おいしい」「手間いらず」と
「白だし」にお褒めのお墨付きを下さったのです。
以来、私は盆暮のご挨拶にも この「白だし」を使わせていただいております。
「白だし」とともに今日まで三十年の愛用者となりましたが、
『おふくろの味』を醸し出す「白だし」は、私のお台所の親友であり
頼りになる味の先導者でもあります。
湯村 幸子様(栄養士)
湯村 幸子さま
栄養士の資格を取得し、高等学校家庭科講師を務められた後、料理講師として20数年、生活の質の向上を期待する人に向けた健康的な家庭料理を紹介する活動をしている。2003年に、料理本「スローフードでへるしーくっきんぐ」を出版。白だしや、多重構造鍋を使ったヘルシーで、栄養のバランスの摂れた料理レシピを紹介している。
「忘れられない母の味」
「ハミルトン」と「金時豆の煮もの」
母が結婚したのは昭和8年だったらしい。その頃母は国立病院の看護婦さん、軍人の父と結婚した時に、外国製の「ハミルトン」という総合調理器具を持ってきたそうだ。当時最先端の嫁入り道具だったらしい。それが母の自慢だった。昭和14年に4歳の私と母は父の赴任していた旧満州に住む事になった。勿論その「ハミルトン」も一緒だった。その調理器具は下に炭火を置くと上に何段にも重ねられたホウロウ製の容器の中に入れられた何種類かの料理が一度に出来上がると云うもの。赤飯も煮豆も煮しめも一度にできた。
忘れられないのは「金時豆の煮もの」だった。ふっくらと甘い味でちょっと煮崩れた感じの金時豆の味が忘れられない。
第二次世界大戦が激しくなって、昭和18年(終戦の2年前)に日本に帰国、父の転勤で日本各地を転々とし、終戦を迎えたが、戦後の食糧難の時代にも、被災した親戚一同の食事を賄うのにも、その「ハミルトン」は活躍していた。
お砂糖が不足していた時代、あの金時豆を何度も食べたいと思った。味はお砂糖と塩だけだったと思うのだが、適度のふっくら感が今の私には出せない。
あの大変な時代に食事を作っていた母達は苦労したと思う。
田舎だったので「ふきの煮もの」「なば(雑多な山のきのこ)の佃煮」「さんしょうの葉の佃煮」。少し豊かになってきた時代の母の味を懐かしく思う。「味とこころ」さんのおいしい醤油に出会う事なく亡くなってしまった。私も頑張って母の味に近づかなければと思う。
田邉 元子様(タナベウィッグ社長)
田邉 元子さま
埼玉県にて、毛髪相談から、ウィッグ、食事、アレルギー化粧品など取扱うタナベウィッグを経営。
主婦にとって一番大切なことは、家族の健康と食事。
「食事は生命の源」、「命をつなぐ食事で最も大切なものは料理の上手下手でなく食材」という考えから、忙しい仕事と両立しながら、海や川、山や畑にと旬の食材を求め、身体に良い食事作り・昔ながらの家庭料理をすすめている。
「忘れられない母の味」
大鍋にたくさんの「納豆汁」
山形出身の母は、いつも季節感あふれた郷土料理を、時には材料を取り寄せて、4人の子供達と父の酒の肴を何品も作ってくれました。
寒くなると私たちが納豆をすり鉢で摺り、大鍋にたくさん納豆汁を作ってくれて、それを何杯もおかわりして体を温めたものです。
栄養のバランスもよく、今はすり鉢の変わりにミルミキサーで納豆をつぶし、
ずいき(もしくは芋がら)は秋になると道の駅で求めて皮をむいて干しています。
我が家の健康食として、ずいき・納豆・きのこで簡単に作ります。
98歳まで母の長寿もぼける事もなく、一日に何回も「いつもありがとう」繰り返し言う笑顔の母でした。
納豆汁の作り方(4人分)
しめじ平茸などのきのこをほぐし、ずいきは湯であく抜きをした後1cm程に切り、こんにゃくは1cm程の細切りにしたら、鍋に水(400~500cc)を入れて煮ます。
次に、木綿豆腐・薄揚げ・あればわらびを1cm角に切り、鍋に加えます。
次に、納豆と酒粕をミルミキサーでつぶし、鍋に入れ、ひと煮立ちしたら、白だし・みそを入れて調整し、小口切りにしたネギを入れ、お椀によそい、セリを飾り出来上がりです。
納豆汁の材料(4人分):きのこ(しめじ平茸など1パック)、ずいき(30cm長さ×2本分)、こんにゃく(1/2丁)、木綿豆腐(1丁)、薄揚げ(1枚)、わらび(少々)、納豆(2~3パック)、酒粕(10~20g)、白だし(大さじ2)、みそ(大さじ2)、ネギ(1本分)、セリ(少々)、
ずいきとは、里芋の葉柄のことを「ずいき」と呼び、このずいきを乾燥させたものが「芋がら」と呼ぶ。秋に収穫した葉柄を乾かして、それを食用にしたもの。ずいきには鉄分・カルシウムが豊富に含まれ、食物繊維・カリウムも豊富であり、慢性的な便秘や高血圧にも効果的がある。
田沼 敦子様(料理研究家)
田沼敦子さま
1953年新潟県生まれ。歯学博士・料理研究家。千葉市『高浜デンタルクリニック』院長。
本業のかたわら、身近な食材を使って自然に噛む回数が増える料理『かむかむクッキング』を提唱。テレビ、雑誌、講演など多方面で活躍。夫は写真家で文化功労者の田沼武能氏。二男の母。著書に『噛むかむクッキング』、『取り寄せても食べたいもの』、他著書多数。
「忘れられない母の味」
「カッ、カッ、ガッッ・・・」手が思うように動かず、なぜか前に進みません。
気になって抽斗を開けたら、あるのはネズミの歯のようなものだけです。
「ちがうよ、こうやんの」と言って、私の手から鰹節を取り上げるや、母が削り出すと「シュー、シュルッツ」ときれいな巻き毛のようなものがひらひら舞いあがり、まるで踊っているよう、見る見るうちにふんわり貯まりはじめました。
おなじ鰹節なのに、どうしてこんなに違うのか・・と、小学校低学年だった私はちびた鰹節を口に含みながら、上手にできないもどかしさに早く大人になりたいと心底思っていました。
「お熱いですから、お気をつけてどうぞ・・」と、ひと声かけながらお客様に自慢の茶わん蒸しを勧める母。心なしか、母の顔も上気しているようです。
でも、舞台裏の台所はたいへん。昆布にかつおの一番出汁と卵液。私が牛乳瓶の底で銀杏を割れば、力にまかせ身まで割れ、裂いた「ささみ」はよじれ、尾が取れた海老は頼りなさそうで見るも無残。飾り三つ葉に吸い口のへぎ柚子。手伝いのはずが失敗ばかりで「茶わん蒸し」って作るのたいへんだ~と、トラウマに。
「おかあさん、もうすぐ白だしなくなるよ」の声は、冷蔵庫に顔を突っ込んでいた私の息子から。今やほんとうに簡単。卵を溶いて白だしで薄めたものを器に入れ、鍋に2センチくらいの水を入れ強火にし、ゴトゴト言いだしたら弱火に・・。これだけで美しく美味しい卵豆腐ができあがり、おかずがあまりなくても堂々と出せるひと品です。便利で重宝な「白だし」、これこそまさに私が手放せない「息子へ伝える母の味」です。
青木 あきい様(陶芸教室経営)
青木あきいさま
東京都に在住。陶芸教室『あい夢工房』経営。
お料理が好きな方々が集まってお料理を作るうち、お料理に合う器を作られるようになり、陶芸教室を開校に至る。
手作りの料理が評判になり、多くの方から親しまれる地域のお母さん的存在として、愛されている。
「忘れられない母の味」
おふくろの味というと、いまでも忘れられない母の味は肉じゃがです。
田舎育ちですので、良く煮て又火をいれ、味が充分にしみた肉じゃがです。煮物もよく作ってくれました。
材料もバランスのいいものばかりです。今でも何もない時はすぐ作ります。何年か前、孫が外国にホームステイをしていく時、何か一品料理を作ってやりたいと思い、その時も肉じゃがを教えました。
代々伝わっていく母の味ですね。
また、以前一流のお店でランチを頼んだ時の御膳は忘れられません。どれを見てもきれいに盛りつけられおいしかった覚えがあります。
たかが肉じゃが、でもこうして御膳に映るとさすが立派でした。
今ではお陰様で味は白だしに頼りますのでそれに母の味(心)をプラス、おいしい肉じゃがをいただいています。
松波利佳様(フリーアナウンサー)
松波利佳さま
フリーアナウンサー・託児所経営。テレビ・ラジオ・司会の仕事の他、東京港区西麻布で託児所を経営。会員制の託児所は2000年の開館から会員数は現在200人。又、二人の娘の小学校お受験経験から、お受験教室も経営し、お受験・教育・子育てなどの、講演活動も行う。
「忘れられない母の味」
子供の頃、日曜の夕食は、お好み焼きを焼いて食べることがよくありました。
ホットプレートがテーブルに出てくると、「今夜はお好み焼きだ」とわくわくしました。
母はボールに粉を入れ、水を入れて「だまにならないように、混ぜるのよ」と言って、泡だて器を上手に使い混ぜ、そこに、すり下ろした山芋・卵・キャベツ・長ネギ・干し海老・揚げ玉・そして我が家はちくわのスライスを入れ、仕上げにだしを隠し味で入れる。
油をひいたホットプレートに生地を流し、丸くなるように形を整えて焼いていく。
香ばしい香りで食欲をそそるのです。
焼けたお好み焼きにソース・マヨネーズをたっぷり塗り、あおのりに最後は踊るほどのかつおぶしをかけて完成。
お店でいただくお好み焼きほど、形は良くなくて不格好だが、味は最高!ふわふわのお好み焼きを「もう一枚焼いて」と言って何度もおかわりをしました。
このお好み焼きは今、娘達の大好物で、我が家でも週末良く作って食べています。
一緒に粉を混ぜたり、山芋をすったり、娘達とキッチンで賑やかに作るお好み焼き。
そして、我が家では隠し味に白だしがかかせません。
どんな、美味しいお店よりも、我が家のお好み焼きは、日本一美味しいと娘達も言ってくれます。
娘達がお嫁に行っても、作り続けて欲しい我が家の味のお好み焼きです!